浜の家ブログ

第50回ジュリア祭の記事

神津島の記事

教会もない神津島で50年も続くのが”ジュリア祭”。

その昔、安土桃山時代。
豊臣秀吉が朝鮮出兵した時に連れ帰った孤児。
キリシタン大名の小西行長の元で育ち、カトリックの洗礼を受けたのが”おたあ・ジュリア”。

才色兼備だったおたあ・ジュリアは家康の元へ行ったが、キリシタン禁教に伴い信仰を捨てるように言ったがこれを拒否。
大島→新島と順に流され、最後にたどり着いたのが神津島。

幼少の頃おたあ・ジュリアを育てた”おばばさま”に薬の知識があり、神津島でもその知識に島民が助けられた、という記述もあります。
キリスト教を捨てずに流刑になったおたあ・ジュリアが1番辛かったことが「御ミサにあずかれないこと」という記録があり、それを知った後の人が「御ミサとは何か?」と尋ねたことから、東京大司教の協力参加の元で昭和45年5月に神津島で初めて捧げられた御ミサが最初のジュリア祭となりました。

教会のない島で50年続いたこのお祭りのことが、朝日新聞の記事になりました。
有料会員にならないと最後まで読めないのですが、よろしければご一読ください。


ジュリア祭自体は50年の歴史ですが、これが始まったのは、300年以上”宝塔様”と呼ばれる流人塚を大切に守ってきてくれた人がいたからです。
昔の出来事を大切に遺していく神津島の人々の歴史も感じていただければと思います。

2019/5/15